hogashi.*

日記から何から

 論理と直感がつっかう例として、数学の有用性があると思っている。最近何かと話題だけれど、時折顔を出しては納得されずに立ち消える話題である。

 ところで僕の家族は皆少し文系寄りで、こと算数/数学に対しては"学校で習った"という以上の興味を持っていない。
 そこへきて、例えば"工夫する"計算を教えたとすると、そうなんだ、で話が終わる。12の2乗は、10かける14に4を足すのだ、と言ったところで、確かにそうかもね、と言われる。
 答えを確かめたりしないときもあるし、いずれにせよ何故そうなるかなど気にも留めない。だから応用できないし、使えないから面白いとも役立つとも思わない、というのがパターンである。論理を置き去りにして、よくわからないから不要、という直感に従ってしまうのだと思う。

 より一般的な話をすると、3つのドアから当たりを選ぶ確率の問題は有名だろう。
 解答者が最初にひとつ選ぶと、出題者は残りの2つのうち、外れをひとつ開けてくれるのだ。すると当たりは、既に選んでいるドアか、残りのうち開けられなかった方のドアである。このとき解答者は、選択を変えた方が得か?というのが問題だ。答えは、"変えた方が得"である。
 これは直感に対して強く反発する。選んだ時点での確率が比較されるので、1/3と2/3になるからなのだけれど、論理として説明されても納得できないことが多いので、より直感に寄り添う例がよく挙げられる。3つのドアではなく、100のドアではどうか、という例だ。解答者がひとつ選ぶと、出題者は残りの99のうち、外れを98開けてくれる。100あるうちから適当に選んだドアより、99の中で残されたひとつのドアの方が、当たりかも知れないと思えることだろう。
 これを聞いて、なるほど面白いと思えたなら、少しは数学というものが役に立つという気持ちになると思う。ただ、見ている限りでは(統計をとったわけではないけれど)、悔しいとかわからないとか、理解を放棄してしまう様子が多く見受けられる。マジックを見せられて、タネも見せられたけれど、そんなのできっこないよ、と言って明後日を向いてしまうような感覚に感じられる。

 して理解できないのが悪いかという話は難しい。理解できた方が、様々な問題を解決できるだろうことは確かではある。でもそれ以上に得手不得手というものがあるので、それを良い悪いとは言い難いと思う(僕も難しい数学についてはわからないことが沢山ある)。大事なのは多分、"直感が誤っていることもある"というのを知って、そして念頭に置くことだろう。
 元のエントリと話がずれてすみません。