hogashi.*

日記から何から


 外ではマスク必須の生活によって、様々な場所の香りを忘れていった数年だった。個人的には京都に引っ越してきてからというものずっとだったので、京都の香りを未だにあまり知らない。最近これがようやく許りてきて、外の香りを感じられるようになった。いざそうなってみると、街の香りはかなり混沌としていて、ちょっと残念だった。こういうことを考えるときには、祖母の家の木と線香の香りに思いを馳せる。

 思えば高校から電車で通学するようになってイヤホンをつけるようになり、ノイズキャンセリングのついたものを手に入れてからは外出するたびつけるようになっている。電車や人の声の大きさに心をざわつかせる必要をできるだけ減らし、凪を求めて音楽やpodcastなどを流して移動する *1。これも香りと同様、街の様子としてうかがい知ることができるもののはずで、受け取る量が減っている認識はしている。音を聞きたいときには外す選択肢も持っている。

 香りも音も減らして外出すると、目が頼りになる。元々五感のうち日々の情報のかなりの割合が視覚によるものなのを、さらに偏らせている。しかしよくふりかえると、ただ単に見るものが増えるだけではなくて、見る必要があるものが増えた分、見なくてよいものを見ずにいるのかもしれないと思い当たった。この間はふとそれに気づいて、見なくても困ることはない街の細部をいちいち目に留めながら歩いた。しばらく体験しなかった感覚で、建物の壁の水の滴った跡とか、小さな看板に書かれた文字の筆圧とか、何歩か踏み込んだ思考をしていた。かつて楽しんでいた街歩きの初歩みたいなもので、やはり楽しいので改めて大事にしたい。

*1:車や通行人などには気をつけている