夜中のスーパーで買い物した帰路でこれを書いていますが、夜中のスーパーにはお惣菜がなかった。
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枕が枕カバーになかなか入らず、枕の成長に思いを馳せて、中身がうまく乾燥したのだろうと思った(結局ちゃんと入った)。
最近は皿を洗う頻度が上がらない。もともと自炊はできないタイプなので困りにくいせいもある。気持ちには波があって、洗うか、となるまでの波長が長くなっているとは感じているものの、それがなぜなのかはわかっていない。
何につけ理由を考えがちだと思う。突き詰めていくとなぜ生きるかみたいになるので、諦める線は必要なのだけど、そういう諦めないといけないところか、あるいはちゃんと納得できるところまでは考えていそう。
昔からこういう性格で、小さい頃は何かを見つけるごとに「これ何これ?」と親に聞き続け、冷蔵庫の扉を閉めると照明が消えることに気づくと仕組みを調べていた(温まっちゃうでしょうと言われてはいた)。しかし今は小さい頃ほどの熱意がないように思う。知っていることが多くなったことで知りたいことの割合が減ったからなのか、やる必要があることに追われるからなのかわからない(これ自体ここである程度納得して止まっている)。
周りの人に聞くと、そんなとこ気にしてなかったよ、という人も、もっと色々調べたりしてたよ、という人もいて、改めてこういう心の向きは大事にしたいことだなと思っている。しかし親には考えすぎだとよく言われるので、程度が難しい。
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「The quick brown fox jumps over the lazy dog」、ちゃんと a 〜 z が全部あるのか〜って感心した。意外と o が 4つある。
$ perl -e 'print join qq(\n), ( > split q(), q(thequickbrownfoxjumpsoverthelazydog.) > )' | sort | uniq -c 1 . 1 a 1 b 1 c 1 d 3 e 1 f 1 g 2 h 1 i 1 j 1 k 1 l 1 m 1 n 4 o 1 p 1 q 2 r 1 s 2 t 2 u 1 v 1 w 1 x 1 y 1 z
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祖父がテレビのリモコンのことをピポパと呼んでいておもしろかったのを思い出した。葬式の次の日に仕事場の小さな機械が勝手に動き出して、「まだ居るわ」って家族でのどかに話していたのもたまに思い出しておもしろい。畳屋は仕事が減っていったようだったものの、小さい頃にはぎりぎり仕事場で仕事している様子が見れたのはよかった。成人してから会いに行って、多少ぼけつつ燗した酒を楽しそうにめちゃくちゃ注いでくるので飲み続けた覚えがある。
最近近くの喫茶店にいって店主の方と常連の方と話したところ家族を大事にしたいねという話を経由したのでなんとなくそういう心持ちになっている。ここ数年は神社や寺に行ってはあらゆる人の無病息災を願っている。
pull requestをつくるときはそれをやらないとどう困るかを書いている
仕事でコードを書くときは大抵 pull request にしてレビュワーに見てくださいって言うことになる。 description には「これをやらないと (今のままでは) こう困る」というのを書くように意識している。
多分こんなことは本やインターネットで無限に言われていると思うけどやっぱりそうだなと思って書く。
pull request をつくった身からするとどうしても変更に意識がいきがちで、「これがやりたい」「ここをこう変えた」ということを description にまず書くのだけど、レビューする立場から見ると「今の何がいけないのか」がわからない。変更しなくて済むならそれが一番*1なので、いや〜どうしても変えないと困るんですよね、という点を理解したい。
なので、 (さっきまず書いた内容に加えて) 「今のこれが壊れてて困る」「これがやりたいけど今のこの機能だとこれが足りない」みたいなことをなんとかして書くことにしている。実際それを書こうとして、いやよく考えたら今のままで困らないじゃん、ということに気づいたり、指摘できたりすることもある。
これは issue とか相談ごとでも同じだと思っていて、「どう困っているか」さえ書かれていれば、「どうしたいのか」は一緒に考えたらよいので、「どうしたいのか」は別に書かれてなくてもよい (案があるなら書いておくとお得)。あと逆にレビューするときも、「この変更だとこう困るのでこうしませんか」と書けると、お互いに理解できて嬉しいはず。