感情の日記なので論理的なものを横に置いています。あと他人に言及する意図はなく、自分の中の話です。チームの人間を尊重し、自分を尊重するのがいいと思います。AIエージェントを作っている人たちにも感謝しています。
気持ちとしては、AIが全てを間違いなくできるなら残らずAIに任せたいが、そうはいかないので、現実的には、最終的には人間が責任を持ち、AIのしたことを見て良し悪しを判断している。
最近のAIエージェントは短い指示で多くのことを自主的に行うようになっていて、要件を渡せばそれなりのものができあがってくる。ただ精度はまだまだなので、がっかりしながら、数分でできあがった膨大なコードをレビューする作業が始まる。これはかなりつらくて、全貌が全く見えないまま書き上げられたものを切り崩す必要があり、全体的にそれらしいが時折絶妙に間違っているところを見つけ出さないといけない。AIエージェント自身に説明させても説明自体それらしいし、レビューさせてもまだ絶妙な間違いは見つけられないことも多い。
AIエージェントによって仕事全体の速度を上げることができるようになったはずだが、こういうことをしていると、全然進まない。作らせては、ちゃんとできているか不安になりながら時間をかけて読む。よく言われていることだが、これが人間がやるべき仕事なのか? そうではないだろうと思う。
あとAIエージェントが間違ったものを書いてくると、それはつまり自分の使い方が良くないのだ、と突きつけられているようで滅入る。結局計算機なわけで、使用者を映す鏡のようなことになっている気がする。粗雑に扱えばそれなりのものしかやってこないのだ、という感覚。本当かどうかは知らない。もはや人間がぱっと見で理解できる計算の域を超えてしまい、こうしたらこうなる、という法則性が全くわからない段階に来ていて、うまくいかなかった理由が判明しないので、大まかに使用者が悪いのだろうという感覚しか残らない。
コーディング自体が好きでやっている仕事で、コーディングを肩代わりされると、コーディングスキルの使い所はレビューのみになってしまい、全然楽しくない。とはいえ、自分がコードを書くより早くできあがってくるので、頼らざるを得ない。こうなると、ろくにコードも書けない自分のことをとても無力に感じる。先週は本当に何もできなくて惨めだった。
こうなって本当につらい思いをしたので、最近は少なくとも少しずつコードを書かせるようにしている。感覚としては「どう書いたらいいかわかる範囲」を書かせている。こうすると、できあがってきたコードは少し自分に近づき、AIエージェントにも自分の思考が少し伝わり、AIエージェントの思考のトレースも楽なので、良し悪しの判断もしやすい。
これは結局AIエージェントがまだまだってことか、がっかり、と思っている一方で、まあ今そうならそういう使い方をするか、という諦めがついた。人間の代わりをすっかり勤め上げるほどの精度も責任も持っていないので、そういうもんなのね、という気持ち。
自分を納得させる言い方を探したところ、「エディタの補完のように扱う」という言葉に落ち着いた。文字入力のシステムで予測入力や予測変換が登場したように、少し前にはコードの書く先を予測して補完してくれる GitHub Copilot が登場したように、その延長として、書きたいコードを補完してくれる、その量が増えた/精度が上がった、と捉えることにした。もちろん自然言語での指示ができて、意図や要件をたくさん伝えて書き直させることもできるので、ツールとしての柔軟性は上がっているが、あくまでコードの補完をしていると捉えることで、自分にとっては少し期待を小さくし、今の精度においてそれなりの速度を出す使い方ができるように思う。