拡張機能「twitter画像原寸ボタン」 v5.0.0 を公開しました (さっき審査に出したので数日中には更新されるはず)。 Manifest V3 対応のみで、機能としては何も変わりません。 V2 には戻せない (ストア的にも) のでメジャーバージョンを切ってみた。
Chrome はこちらから:
chrome.google.com
Edge はこちらから:
microsoftedge.microsoft.com
拡張機能「twitter画像原寸ボタン」 v5.0.0 を公開しました (さっき審査に出したので数日中には更新されるはず)。 Manifest V3 対応のみで、機能としては何も変わりません。 V2 には戻せない (ストア的にも) のでメジャーバージョンを切ってみた。
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どれくらい仕事できてたか……という話をしたところ、できてたと思うしそれに対して自覚的になれるとよさそう、と言ってもらえることがあり、なるほどとなったものの、具体的にどうしたらいいものかと思っていたところ、 はてなのポッドキャスト Backyard Hatena #21 - ストーリー性のあるプレゼンづくり(id:onk) #byhatena - Hatena Developer Blog を聞いたら、「これってどうやってますか」に対して「これをやってますね」がとても流暢に打ち返されていてすごい、普段これができないのだよな〜と思うと、日々の会話や仕事の上でやったことや判断の理由を思い出したり、その時点での思考をもう一度トレースしたりしてまとめると色々わかっておもしろいのではないか、と思ってきた。
これが言語化だろうし、ふりかえりという意味では KPTのKがいまいち膨らまないチームに贈るパワフルな質問 - yigarashiのブログ と同じ話題で、なんか判断がうまくいったというのを次にも明確に活かせるようになると便利そう。これが今までうまくできていなかったのは、個人の思考なので結果があっていれば特段アウトプットする機会がないというのと、そもそも種明かしみたいな感じで嫌だったり及ばないところがありそうで気恥ずかしかったりするというのがありそう。この記事もだいぶそうですねえと思いながら書いている。
多分会話した他の人々の考えとかも合わせて見ると、考え方の筋道が違うことがわかったりどこで意気投合したかがわかったりして、翻って自分がどういう考え方なのかが認識できてよりおもしろいはず。結果的に 自分を必要以上に過小評価しないように、相対感を養うべき - あんパン のような自分に対する相対感が身についていくのではないか……。
めっちゃわかって、ブラウザにデフォルトの設定をしておけば Web ページがブラウザの API を勝手に叩いてやっていってくれる流れにならないか、と思っている……。まあ「このページでは設定変えたいな」みたいなときにどうしたらいいのかは不明。
小さい頃はシール貼るの好きだったのだけど、今こう見るとさぞ親は大変だったろうと思う。
冷蔵庫やタンス、食器棚に貼りまくっていて、しかし何らかの基準みたいな感覚があり、それに沿って貼っていた覚えがある。あとシールのシートって剥離紙の上に粘着力のある紙が型抜きされている状態なので、実は枠も貼れることに早々に気づき、これは面白いなと型抜きされたシールを全部貼ってから枠も剥がして冷蔵庫に貼る、という行いもしていた。
親は特に剥がすことはしておらず (剥がさないと困るものに貼っていたら剥がしていたとは思う) 、食器棚やタンスは未だに現役なのでシールも残っている。小さい頃の背丈で届く範囲、特に立ったり座ったりしたときの目線の高さに貼られているのが自分で微笑ましい (これは自分が育児をしていないから気楽なだけではある)。
弟もシールを貼るのが好きだったけど、弟はめちゃくちゃ重ね貼りするタイプで、食器棚の扉に厚くなったシールが存在している。貼り方にも個性が出る。
スーパーに買い物に行ったところ、復刻パッケージのロッテガムが置いてあった。微妙にテンションが上がり写真がめちゃくちゃ斜めになっている。
こういう自販機を見たことがあるわけではないけど、コイン投入口の傷とか端っこの錆とかが細かくて、こだわりを感じる。
ブルーベリーと梅がめちゃくちゃ懐かしくて、レモンのは知らなかった。ブルーベリーも梅も、よく父親の車のダッシュボードに入っていて、車に乗るたびに喜んでもらっていた (車で酔いまくる子供だったので、その対策でもあった)。スーパーから家に帰ってきてブルーベリーのパッケージをよく眺めたらそういう記憶が蘇ってよかった。梅は売り切れていて無念。また今度。
昔は永遠に味があって永遠に噛んでいたけど、今の鈍感な舌ではすぐに味がなくなった。当時親がすぐ捨てていたのも、今になって頷ける。
昔あったか覚えてないけど、包み紙?銀紙の外の飾り紙?に点線が入っていて、切れば折り紙にできるようだったので、折り鶴にした。折り鶴も小さい頃からよく折っていて、手順は言語にならないが手がなんとなく覚えているという部類の記憶。こないだ新幹線の駅で機嫌の悪い子供に折ってあげようか迷った (スマートEXの乗車記録の紙を正方形に切って折るまでを立ったままやったけど時勢とタイミングが合わなかった)。東京から京都まで鉄道の窓枠を旅した折り鶴が何羽いるか気になる。
祖父母家への帰省はいつも父親の車だったけど、両親家への帰省は新幹線で、しかし着いたときの久々の妙な居心地と帰りの名残惜しさは変わらないものだなと思う。強いて言えば大量に餅を持たされると新幹線では肩にくる。