hogashi.*

日記から何から

toya.hatenablog.com

 競馬のことをほんとうにほとんど知らないのでここ最近は TL を遠くから眺める感じになっているのだけど、なるほど〜と読めた。そして以下は競馬とは全然関係ない話題です。

 特に関わっている人が (見えないところを含めて) とても多くいて、その上で選手?が出場する、というところはやっぱりそうなんだなと思った。これは F1 でも同じなのでとても身近な感覚で、僕が F1 を楽しく見ている理由のひとつでもある *1

 F1 ではドライバーが一番注目されるわけだけど、乗っているマシンはチームが開発したものだし、優勝したドライバーのチームは表彰式で一緒に表彰される (チームのひとりが表彰台に上がる、ドライバーの国だけでなくチームの国の国歌も流れるなど)。それ以外にも、ドライバーとずっと会話し続けて指示などをするエンジニア、爆速ピット作業のエンジニア、カメラに写らない縁の下でデータ解析しまくって助言する人々など *2 レース最中もすごい数の人が動いていると聞く (放映でしか見たことがないので伝聞)。それを勝手に想像しながら放映を見るのが楽しい。あと実況解説の人がそういうのめっちゃ詳しくて説明してくれたりすると倍楽しい。

 というところまで考えて、僕が E-スポーツ版 F1 にあまり惹かれないのはそういう点もあるのかな〜と思った。今までは、現実のモノ・天候・人の調子などが色々重なって起こる色々なことを見る方がおもしろいと感じるのかなと思っていた (引き続きそれもあるとは思う)。もちろん関わっている人の数は決して少なくはないのだろうけど、どうしても比べてしまうのかもしれない。

 ということは、ものぐさなので何も調べてなかったから知らないだけで、どういう人がいるのか見て色んな人がいることが実感できたらまた印象が変わるかな、とも思える。でも、なぜか同じくらい好きにはならないんだろうな、という直感があるのであった……。

*1:といって詳しいわけではないし F2 とかはほぼ見たことがないのでかなり雑になります

*2:細かく言えばドライバーやエンジニアの詰める場所の食事の用意とかお掃除の人とかもっとめちゃくちゃいると思う

 家から出ずに会話をする日々で、通信を介する遅さにじわりじわりと苦しんでいる気がする。仕事も私事もそうだけど、どうしても発話が被るし、間合いを取りかねる。

 

 意外と短い時間で機微を感じ取って会話していたのだなと思いつつ、通信を介する遅さで育つ人が居たらどれくらいその遅さに適応できるんだろうかというのも気になる。光や音の速さが人間の反応速度とかに影響ない範囲だからやっていけているのか、もともと遅かったらそれに合わせて生活できるのか。なんにせよ会って話す場面はまだまだ無くならないので結構先の話になりそう。

 

 昔学研で読んだ、光の速さが秒速 1m とかになる SF のことを思い出した。小学生ながら登場人物の抜けた感じにつっこみをいれていたけど、今になってよく考えると秒速 1m ならダッシュで光を追い越せる。ちょっとやってみたい気もするけど、もしドップラー効果とかがあるとめちゃくちゃ眩しいと思う。

 

電子レンジに2分で向かう

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 毎日カフェオレを飲みまくっていて、電子レンジで 2分温めるのだけど、 2分経つ直前に気づいて電子レンジに向かうことが割とできる。

 これは勝手にそう感じているだけで、実際は気の所為だろうというのは理解している。実際毎回気づくわけではない。忘れまくって電子レンジの扉を開けることなく連続 3回温めたこともある。しかし、ふと 2分経つなと気づくシーンが、主観的に割とあるというレベルである。温めていることをずっと覚えたままそろそろだなと思うこともあるし、すっかり忘れていたのにはっとして向かうこともある。そして多分狙ってやると失敗する。

 子供の頃はこういうことがよくあった。水の入った容器を持ったままダッシュしても、自分の加速度に合わせて腕をしなやかに動かすことで水面を動かさずに (つまり頭文字D) 運べたし、突然時間が気になって時計を見るときも、見る前にいま何時なのかを予想してから見ると当たっているということも割とやっていたし、多分忘れてしまったけど他にも色々あった。これは最近はほぼ失われている (それに気づいているということは、最近もそういうことを引き続き試みて、そして失敗しているということ)。

 あくびがうつるのは、一定の時間同じ環境下で過ごした人が同じタイミングで酸素を求めるというだけで、気の所為である、ということを聞いたことがある。なるほどなとは思いつつ、それだけでは説明できないこともあろうとも思っている (テレビの中のあくびがうつったりする)。

 子供の頃できていた説明のつかない力も、やはり気の所為であろうということは理解している。それに気づいたときから客観的になり、その結果観測が正確になるので、勝手にできると思わなくなるという流れでできなくなったのだろうとも思う。

 しかし客観的に気の所為だろうと理解していても尚、電子レンジの 2分はまだそれなりにできると思っている。気づいていないだけで、 2分経つときの音などで無意識に反応しているのかもしれないし、統計をとったら十分たまたまかもしれないのだけど、便利なので突き詰めていない。

 客観視しきれない子供心を未だに持ち続けつつ、子供が勝手にそう主張するのを微笑ましく眺め、興味深いのでそのままにする大人のような心も持ち合わせている、不思議な状態にある。

 MacAlt Opt + Space を押すと C2A0 という空白文字 ( ノーブレークスペース - Wikipedia ) が登場してしまうっぽい、突然コマンドの様子がおかしくなったので丁寧に打ち直したら成功したけど、見た目には違いがわからなくてなんだったのかと思って od とかしてなるほどとなった。

$ # おかしいときの
$ git switch -c hoge
git: 'switch -c' is not a git command. See 'git --help'.
$ echo -n 'git switch -c hoge' | od -t x1
0000000    67  69  74  20  73  77  69  74  63  68  c2  a0  2d  63  20  68
0000020    6f  67  65
0000023
$ # 正しいときの
$ git switch -c hoge
Switched to a new branch 'hoge'
$ echo -n 'git switch -c hoge' | od -t x1
0000000    67  69  74  20  73  77  69  74  63  68  20  2d  63  20  68  6f
0000020    67  65
0000022

 ちなみにこの記事の html を見るとこうなっていて、確かに nbsp になっていた。

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 日曜に昼から頭痛がしていて、なんだろう寝たら治るかと思っていたらその夜中にどんどんひどくなっていって、何もできなくなってたまらず病院にかかったのだけど、睡眠不足とか肩こりとかいろんな原因でたまたま頭痛が起こりやすい日だったのでしょう、と言われて本当に申し訳なかったのだけど、しかし体験したことのない痛みがあるときに病院にかかるのは悪いことではない、ということも言ってもらえてかなり救われたのと、よく寝て肩とかこまめにほぐしましょうと言われてやはり申し訳なかった、あと痛すぎてずっと頭に手をやっていたのだけどこれしないほうがいいですかと聞いたところ、医学的にどうとかではないけど個人的には手当てって言葉がある通り痛いところに手をあてるのは本能として自然なことだと思うし痛みを感じるのは脳なので手をあてることで痛みが少しでも引くということはない話ではないと思うと言われてすごくよかった、お坊さんのお話をありがたく聞いたときと同じような気持ちになって申し訳なさと相まって会計の待合でさめざめ泣いていた、本当にそんなことで病院にかかって申し訳なかったと思ってここ数日は気づいたときに肩を回していて、太極拳とかやってみたいと思って動画を見たら型がめちゃくちゃあって全く覚えられなくて諦めて深呼吸だけ取り入れた。